四方田犬彦 編/鈴木清順 エッセイ・コレクション
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エッセイ
映画監督、鈴木清順のエッセイ集。
最初、書店で見た時、鈴木清順とエッセイと言う組み合わせ自体に違和感を感じた。
一体どんなことを語っているのか、変に日常のことを書かれてもそれはそれで幻滅する。
特に彼の映画にハマったことのある人ならば尚更、
ある種の不安を抱えながらこの本を手に取るのではないか。
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鈴木清順と言えば、『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』の浪漫三部作で有名。
初めてみたときは、この監督ならではの独特の映像に夢中になったことを思い出す。
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『ツィゴイネルワイゼン』は原作が内田百閒の『サラサーテの盤』という作品だと知り、
百閒に興味を持つきっかけになったことも今は懐かしい思い出。
個人的には、『東京流れ者』も大好きだった。
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冒頭の「ゆき あめ かぜ」は自らの作品にまつわる演出を語っており、
清順らしさを感じて嬉しくなる。その後の「日記から」はボケと突っ込みが
秀逸なユーモラスな作品でこんなのも書いていたのか、と意外な発見があった。
でもその後は正直言って、ほとんど大した感慨もなく読み流してしまった。
途中、梅原猛『隠された十字架』をお勧めするくだりがある。
『ゴッドファーザー』の原作のつまらなさを引き合いに出しつつ、
『隠された十字架』の面白さを語る姿に知性を感じる。
そして、無学は嫌いだとはっきり言っているのが面白い。
端的に云うなら、無学は大嫌いである。無学なオートバイ乗りはそのまま死地獄へ突進すればいい。生きていたって仕方がない。
P.176
以下、気になった所を少々抜き書き。
虚無感が一番具体的に出てくるのは『大菩薩峠』ですよね。「歌うものは勝手に歌い、死ぬ者は勝手に死ね」、いいですよね。これが確か大正の始めで、さっきの定家の歌も虚無的だったがこれは尚直接的な虚無ですよね。(中略)ニヒルとよく付け合いに出されるのがアナキズムでこれは大正の専売特許のようなものですよね。僕の好きな言葉の一つに大杉栄の、「私は精神が好きだ、しかし精神に理論付けをした時にはそれが厭になる」と云う言葉がありますが、言ってみれば精神しかないわけですよね。
P.255
アナキズムや虚無的な感覚は清順の美学なんだろうな。
で、この人が面白いのは、そういう美学を持ちながら、どこか狂っているところ。
私が一番気持ちのいいコマーシャルを撮ったのは或るポロシャツの宣伝である。
同じシャツを着た男が、南と北からやって来、出会い頭に猛烈な殴り合いが始まり、血だらけ(適当にひかえた)になり海に落っこちてもまだケンカしているといったコマーシャルで、撮っているうちも爽快な気分であり、撮り終えて世のオシャモジおばさんから総スカンを喰った由聞くと甚だ以て爽快で、こみ上げてくるうれしさは止まる処を知らず、抱腹絶倒の快快的、スポンサーも当初にめげず放映をし続けて立派だったし、テレビ局もそんなこととは露知らずフィルムをまわす立派さ。
その前後マヨネーズの宣伝に子供がマヨネーズをぶっかけて喰う、喰う、喰う・・・・・・挙げ句がゲーッと喰べたものをはき出し目を白黒させるのを撮ったが、これは“不快”といわれてオクラ。
P.299
この辺の話なんかは、清順の狂ってる感じが出ていて、最高に面白かった。
もう、このCMの話を読めただけで、この本の元を取ったような気がする。
いつかまた、まとめて清順の作品を見たいけれど、
まだブルーレイ化はごく一部の作品しか進んでいない模様。
出たら買っちゃうけどなぁ・・・
レクタングル大
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